中村 彰 (agarinbo)
1967年長崎県生まれ
大学卒業後、証券会社営業、その後、職人、現在のメンタルケア心理士に至る。
ブログに詳しく書いていますが、
これまで場面緘黙症、イップス、あがり症、強迫性障害などで苦しみました。
「証券会社の営業などやっていたのなら、あがり症と言っても大した症状ではなかったんだろ」と思う人もいるかもしれません。
あがり症は、自分が「ダメだ」という思いになった時(あがり症のことが頭に浮かんできた時)、制御不能のあがった状態になってしまいます。
あがり症のことがまったく頭に浮かんでこない時は、症状は出ません。(症状が出ても気になりません)
これは、極度のあがり症であっても同じです。
あがり症のことが頭に浮かんできた時は、まったく仕事になりませんでした。本当に情けない思いでいっぱいでした。(「会社に行くのも嫌だ」と思うこともありましたが、会社寮に入っていたので会社に行かないというわけにはいきませんでした。そのことが自分にとっては良かったのかもしれません)
症状のことが頭に浮かんでこない時(ノルマなどで本当に必死にならないと帰れない時など)はなんとかやっていけました。
しかし、自分の中では「大事なことから逃げている」「ごまかして生きている」「自分が本当にやりたいことをやっていない」という思いがありました。
ですから、その後、「本当に自分がやりたいこと、自分に向いていることは何だろう」と考え職人の道を選んだのです。(子供の頃はモノを作ることが好きでした)
職人の仕事に就いてみて、「これだ!」という思いになりました。
何年か経ち、職人の仕事の傍ら、オリジナルのキーホルダーや置物なども作るようになり、近くの美術館の中のショップなどに置いてもらうようになりました。
少しずつ、進んでいく道が見えてきたように感じました。
しかし、その後、父親が重い病気となり長崎県の実家に戻ることになったのです。
実家に戻り、「こっちでも自分に向いている“モノ作り”の仕事をやっていこう」という思いがありましたが、どうしても引っかかっていることがあったのです。
「逃げている」、「あがり症ということから逃げている」という思いがあったのです。
ですから、心に決めたのです。
「“あがり症の苦しみをなくすにはどうしたらいいか”を解明する」
それから、メンタルケア心理士の資格を取得し、身体的・精神的なことに関係する様々なことを調べ研究しました。
そして、自分の中で「“あがり症(他の精神的な病も含めて)の苦しみをなくすにはどうしたらいいか”を解明することができた」という思いになることができたので、「解明した事柄を、苦しんでいる人に直接伝えていく」というステージに進むことにしました。
ここに書いている文章では伝わらないかもしれませんが、これまで40年近く精神的な病で苦しんできました。本当にギリギリまで追い込まれたこともあります。
とくに、強迫性障害は、「本当にどうしていいかわからない」状態になってしまいます。
あがり症は、人前で発表する時、人と接する時に苦しめられます。
しかし、強迫性障害は、生活するすべての行動が苦しみになってしまうのです。
手を何度も洗い直す、歯を磨く時に何度も口をゆすぐ、食べ物の賞味期限が切れていないか何度も確認する、電気をちゃんと消したか何度も確認する、戸締りがちゃんとできているか何度も確認する…
生活すべてを完璧にしなければ苦しくなってしまうのです。
(今考えると、あがり症、強迫性障害、場面緘黙症、イップスなど精神的な病は、それぞれ違った症状に見えますが、中身はだいたい同じということがわかりました)
「どうして自分みたいな人間が生まれてきたのだろう」といつも考えていました。
本当に精神的な病を憎んでいました。
「どうにかして精神的な病を消してやる」
という思いで、必死に様々なことを考えました。
「どうしてこんな苦しむことになったのか」という思いで、子供の頃のこと、家族のこと、友達のことなど振り返り考えました。
今思えば、苦しみがあったから、様々なことを考えることができ、これまで気づかなかったことなどたくさんのことを発見することができたのです。
今では、「精神的な病は障害だ。敵だ」と思っていません。(「精神的な病は敵だ」という思いが苦しみを生んでいるということがわかりました)
「精神的な病という形で“才能”“パワー”を与えてくれたのだ」と思っています。
現在、精神的な病で苦しまれている方々にこのことを気づいてもらえるように前に進んでいこうと思っています。
(私のこれまでの精神的な病の苦しみ、「どうしていいかわからずギリギリまで追い込まれてしまった」ことなどは、ブログ『メンタルアガリカルチャー』のほうに詳しく書いています)