精神的な病の苦しみの1つが“激しい動悸”です。
激しい動悸が起こると、何もできないくらい苦しくなってしまいます。
しかし、考えてみてください。
100メートル全力で走った後も、とても激しい動悸が起こるのではないでしょうか。
100メートル全力で走った後の激しい動悸は、「もう100メートル走は絶対嫌だ」と思うくらいとてもつらいものでしょうか。
「思いっきり走った後の激しい動悸をどうにかしよう」と考え悩む人がいるでしょうか。
100メートル全力で走った後の激しい動悸は、「しばらくするとおさまるから大丈夫」と思っているから、「どうにかしよう」と激しい動悸のことを考え続けることはありません、実際、すぐに激しい動悸はおさまります。
このように“激しい動悸”すべてが、生活を脅かすような苦しみとなるとは限らないのです。
激しい動悸に何かが加わった時に、生きていく上での大きな苦しみとなってしまうのです。
それは、“恐怖心”です。
もし、100メートル全力で走った後の激しい動悸によって本当に死にそうなくらい苦しくなってしまったならば、「100メートル走が怖い」「激しい動悸が怖い」という“恐怖心”が発生し、今後の人生を脅かす大きな苦しみとなってしまうかもしれません。
人前で発表する時、激しい動悸が起こり、声が震えて、とても情けない思いをしてしまったならば、人前で発表することに対して“恐怖心”が発生し、「人前で発表すること」が今後の人生を脅かす大きな苦しみとなってしまうかもしれません。
戸締り確認を何度も繰り返す人すべてが、強迫性障害で苦しむわけではありません。
「戸締り確認を何度も繰り返すことがとてもつらい、嫌だ」という思いになり、戸締り確認に対して“恐怖心”が発生した時に、何度も戸締り確認を繰り返すことが大きな苦しみとなってしまい、強迫性障害という精神的な病で苦しむことになってしまうのです。
このように、ある行動・出来事に“恐怖心”が加わった場合、その行動・出来事が苦しみとなってしまうのです。
逆に言えば、「怖い」という思いが起こらなければ、そのことが苦しみとなることはないのです。
人前であがっても、「アガルことが怖い」という思いにならなければ、今後の人生において大きな苦しみになりません。
人前で吃っても、「吃ることが怖い」という思いにならなければ、今後の人生において大きな苦しみになりません。
戸締り確認を何度繰り返しても、「戸締り確認を繰り返すことが怖い」という思いにならなければ、今後の人生において大きな苦しみになりません。
精神的な病の症状があなたを苦しめているのではありません。
精神的な病の症状に対するあなたの“恐怖心”があなたを苦しめているのです。